- 一般社団法人グローバルウィメンズアソシエーション
- 国内外で活躍する女性の出会いと情報交換の場をつくる、知識と経験を共有しビジネスの種を生み育てる、世界中に喜びを分かち合えるグローバルな仲間を広げるという3つのミッションを掲げ、世界各国・地域での国際交流会の開催や次世代のグローバル人材育成支援などに取り組んでいる非営利団体。2011年設立。
- http://www.753global.com
※ 本サイトに掲載している情報は取材時点のものです。
※ 本サイトに掲載している情報は取材時点のものです。
GWA(Global Women's Association)の新たな取り組みとして実施された本セミナーは、実際に海外で働いたことのある方やユニークな経営者の方などを講師に招き、その経験をシェアしてもらうという趣旨で企画された。初めての開催となる今回は『日本から見たシリコンバレーと、シリコンバレーから見た日本。そしてこれから。』と題し、アメリカ・シリコンバレーでの勤務経験を持つ3人によるパネルディスカッション形式で行われた。Apple、Google、Facebookなど世界に名だたるIT企業の本社があり、さまざまな製品の研究開発拠点であるシリコンバレーの魅力と実態について、パネリストそれぞれの立場から語ったセミナーの様子を紹介する。
大学卒業後、日米の製薬会社3社で計28年間にわたって創薬化学研究に携わった経験を持つ赤間勉さんは、当初は日本の企業で定年まで働くつもりで、箔をつけるべくアメリカのバイオテクノロジー企業との共同研究を行うため渡米するも、到着するまでそこがシリコンバレーであるとは全く知らなかったとのこと。「住んでみたら1年中ずっとさわやかな快晴で。その気持ちよさがたまらなくて、そのまま残って働くことを決めた。過ごしやすいので仕事の効率もすごく上がる。この気候がシリコンバレーを『シリコンバレー』にした一番大きな理由では」と話した。
東京生まれの埼玉育ちで、国際結婚を機にシリコンバレーに移住したミレ・ボイドさんもこれに同調し、「シリコンバレーの企業の多くは日本のようにずっと机に向かっている訳ではなく、基本的に自由な働き方を採用している。たとえ嫌なことがあっても、外に出て空を見れば忘れられる」と付け加えた。GWAの理事でもあるボイドさんは現在、3人の子育てをしながら、シリコンバレーに興味を持つ日本企業の現地視察コーディネートや学生の留学支援などの活動を行っている。
石田隼さんは2011年にシリコンバレーのグーグルやフェイスブックを訪れた経験からITに興味を持った。同年3月に発生した東日本大震災の後には、海外から日本を変えていこうという同世代の若い人たちがシリコンバレーに集まるようになり、さらに大きな影響を受けたという。「シリコンバレーは自分のスキルセットに関わらず、『こういうことがしたい』という思いがあって、それに向けたアクションをしていれば、実現するための手を差し伸べてもらえる環境だ」と語る。日本にいたら出会えなかったであろう人にも、シリコンバレーでなら出会える。「シリコンバレー」という共通項で会話をすることもできる。それはまさに自分からアクションを起こした者のみにもたらされる「シリコンバレー・ラッキー」だ。
石田さんはアメリカの大学在学中に起業し、その後シリコンバレーにオフィスを展開しているChatWork株式会社に転職、現在は日本でプロダクトマネージャーを務めている。シリコンバレーと日本との違いについて、「シリコンバレーではモノを作れる人が起業をする。大学でもコンピューターサイエンスがいちばん花形の学部で、皆、モノもビジネスも作れる人を目指す。日本人だとアイデア重視でプレゼンは得意だが、モノ自体はなかなか作れないという人が多い」と話した。
シリコンバレーの歴史をさかのぼれば第二次世界大戦当時のアメリカの政策に行きつく。シリコンバレーにあるスタンフォード大学を中心に研究開発された半導体の軍事利用で多額のお金が舞い込んだ。成功例が増えるとインフラも整い、企業をサポートする体制ができる。そうして知識と技術を持った人たちがどんどん集まってくるようになった。赤間さんはそんなシリコンバレーを「科学と技術の通年オリンピック会場」と表現する。しかし、パネルディスカッション後の質疑応答で参加者から寄せられた「シリコンバレーの繁栄は今後も続くのか」という質問に、これから先はどうなるかわからないという見解を示した。
その理由の一つは不動産価格の高騰だ。「シリコンバレーに憧れてたくさんの人が世界中からやってくる。快適で気持ちがいいからずっと住みたいと思う。それに連動してあまりにも家賃が高くなり、なかなか普通には住めなくなってきている」と赤間さん。バイオ系でいえば、ボストン、シアトル、サンディエゴなどを拠点とする企業も増えてきているとのこと。ましてやリモートで仕事ができる人であれば住む場所はどこだって構わない。そうした理由でシリコンバレーを離れる人が最近では増加傾向にあるという。
また、海外での子育ての難しさについても話が及ぶ中、ボイドさんは、「シリコンバレーで石を投げれば必ずテスラ(高性能EV車)に当たるというくらい成功をしている人たちがたくさんいる。博士号を持っている人も数え切れないくらい。でも、そういうところで長く働いていると、競争することに疲れて心身を病んでしまう人も多い。また、親が優秀な人ばかりだと、子どもが大きなプレッシャーを感じていることもある。自由で快適な環境だが、そういう闇の部分もある」と指摘。シリコンバレーではここ数年、労働者の最低賃金が格段に上がり、雇用する側も楽ではなくなってきている。輝かしい活躍をしている人の陰で、大変な思いをしている人もいる。シリコンバレーといえども、その中では格差が広がりつつある。
そういった現状の中にあっても、シリコンバレーは今後も『シリコンバレー』で在り続けるだろうという見方も示された。石田さんは「有名な大学や企業があるという環境はボストンやニューヨークも同じだが、シリコンバレーのようになれるかというとそうではない。シリコンバレーには過去に自分でモノを作ってたくさんの失敗をしてきた人たちがいて、その経験をもとに投資をするので、お金だけではない支援を受けることができる。シリコンバレーのベンチャーキャピタルが持つコミュニティは大きい。それを求めて世界各国からスタートアップがやってくる」と話した。
今回登壇した3人のパネリストは、ボイドさんを中心にシリコンバレーでの出会いを機につながりがあり、セミナーは終始、友人同士の語り合いのような和やかな雰囲気で進められた。パネリストと参加者の距離も近く、参加者からは他にも「シリコンバレーで働くにはどうしたらいいか」などといった質問が寄せられた。パネリストのリアルな経験を共有することができる有意義で貴重な時間となった。